還る夜、傍らに犬




光が見える。
あそこをくぐれば、もうすぐ。




【還る夜、傍らに犬】




久方振りの単独任務だった。
ほんのお使い程度の、Cランク。ただし通れるルートが一ヶ所に限られていてそこそこ険しい上に、依頼人がとても偏屈で有名な人物な為下忍に行かせるには少し心許ないような、ちょっと癖のあるものだった。しかし他に動けそうな忍は皆任務に出払っていたらしく、受付忍がうんうん唸りながら割り振りを考えていたところへたまたまカカシが顔を出した。そういうことだったら自分が行く、今手が空いてるのはオレぐらいでしょと言うと受付忍は「はたけ上忍に行っていただくなんて…」とそれはそれは物凄く渋っていたが、「ま、確かにオレだと信用ないかもしれないけどねぇ」と言うと「とんでもない!!! そうじゃなくて!!! あああもうどうしたら…」と頭を抱えてしまったので、だったらオレでいいじゃない、任務に貴賤はないでしょ、働けるなら別にどんなのでもかまわないからと言って半ば強引に引き受けたのだった。



カカシは今や、里で微妙な立場だ。
受け持っていた下忍から抜け忍が出たのだから当然である。そんなカカシに回してもらえる任務は単発で比較的簡単な日帰りか、一人だと少し面倒なCランク。か、今回みたいなパターンか。それでも何もしていないよりは万倍ましだった。どんな形であれ里の為に働くのが忍であると思っているし、それが自分の生き方だった。
もう下忍を受け持つこともないだろうが、この体が動く限り、この目が役立つ限りは里の為に出来ることをやりたいし、貢献したい。自分みたいな忍が長生き出来るとはさすがに思ってないけれど、残せるものは残したい。後世の忍や里民が、少しでも生きやすいように整えてやれることは整えてやるのが自分の役目だと思っていた。


(そう言えば、あの人も似たようなことを言っていたっけ)

うみのイルカ。アカデミーの熱血教師で、あいつらの恩師。今頃の時間なら彼は受付だろうかと、カカシは昔を思い出していた。


イルカとカカシは、たまに杯を重ねるような仲だった。
とは言え階級を重んじる彼からは一度として誘われたことはなく、声をかけるのはいつもカカシからだったが、遠慮がちに、それでいて毎回嬉しそうに頷いてくれていた。
嫌われてはいなかったと思う。酔ったふりをして手を握った時も、イルカは真っ赤になりながらうろうろと視線を彷徨わせるばかりで決して手を振りほどこうとはしなかった。
想いを告げようと何度も思ったけれど、そのたびに思いとどまった。告げてしまうことによってこの関係が悪い方に変わるのが怖かった。そうしてもたもたと足踏みしているうちに御前会議でイルカと派手にやり合い、木ノ葉崩しが起こり、三代目の崩御、そしてサスケの里抜け。

感傷に浸る暇はなかった。木ノ葉を建て直そうと皆必死で働き、任務をこなした。

そうしてイルカとは顔を合わせる機会も減り、呑みに行くことはおろか気持ちを伝える機会もなくなったまま、時間だけが過ぎてしまっていた。





大門を潜ると、すぐさまコテツとイズモが「お疲れ様です、ご無事の帰還、何よりです」と声を掛けてくれた。カカシも片手を上げて、「ありがとね、ただいま」と短い挨拶を返す。
(以前は慕ってくれていたけれど、懲罰任務を受けている今ではオレのことを遠巻きにしてる奴らもいるっていうのにね)
それらにいちいち傷つくほど繊細ではないが、コテツとイズモは変わらなかった。勿論、しょっちゅう勝負を挑んでくる濃ゆい顔のライバル(自称)や髭、千本がトレードマークの特上等、態度の変わらない奴らも何人かはいるけれど。
こうして以前と同じように接してくれるとやはり諸々やりやすいし、純粋に有難いなと思う。

(そういやコテツとイズモは、イルカ先生と仲がよかったっけ)

またイルカのことを考えてしまっている自覚はあったが、こればっかりはどうしようもない。カカシは報告書を出すべく、大門を後にした。




結論から言うと、受付にイルカはいなかった。
今日はアカデミーのみの勤務らしい。報告書を受理してくれたのは、カカシに今回の任務を振ってくれた受付忍の彼だった。
どうせすることもないのであわよくばもうひとつ任務が欲しかったが、「規則ですから」と任務はもらえず逆に一日の休暇を申し付けられてしまった。
ごねてもよかったけれど、この人のいい受付忍を困らせるのは本意ではない。礼を言って(酷く恐縮されたが)、カカシは背を丸めつつ受付を後にした。




木ノ葉の大通りを、ぶらぶらしながらあてもなく歩く。
夜も更けてきたというのにどこの居酒屋もまだまだ大にぎわいで、店内からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。時折すれ違う酔っぱらいをカカシはのらりくらりと避けながら、ああ、里も、だいぶ復興したなぁと思う。

今夜はもう少し、この里を見てまわってから家に帰ろう。
そうしてまた、カカシはただただ任務をこなして生きていくのだ。火影と、イルカの生きる木ノ葉の為に。



ふと、目の前の道。頭のてっぺんで、黒い髪を揺らして歩いている男がいた。
中忍以上の忍に支給される、若草色の木ノ葉のベスト。


イルカ先生。


声に出した自覚はなかったが、それでも彼は弾かれたようにこちらを振り向いた。
驚きに見開かれたまんまるの目と目が合う。

イルカだ。
ーーーーああ、里に帰ってきた。

そう思った瞬間、カカシの腹がそれはそれは盛大に鳴った。イルカにも聞こえたらしい、より一層びっくりした顔をして、カカシの腹の辺りを凝視している。
オレ今、もしかしたら物凄く格好悪いかもしれない。
カカシは情けなく笑いながら、
「えっと…先生の顔見たらホッとしちゃった」と誤魔化したら、イルカはぐっと眉間に皺を寄せてカカシの全身をじっと、まるで検分するかのように見られてしまった。

さすがに居たたまれない。

こんなに草臥れて、腹を空かして野良犬のようにウロウロしていたところなんて、イルカにだけは見られたくなかった。

いっそ笑ってくれないだろうかと思っていたら、突然イルカに光の速さで手を掴まれ今度はカカシがびっくりする番だった。

「あの、イルカ先生?」
「…腹、減ってるんですか」
「あー、ええ、まぁ」
「なら、お茶漬けくらいなら出せますから、どうぞうちへ」

うち? お茶漬け? えぇ?!?!


道中、汚れているから遠慮したい、自分の家に帰りますからと何度も申告したが、なぜか綺麗に無視された。
なんだかなぁと思いつつ、そのまま強引に手を引かれてイルカのうちまでずるずると連れ帰られてしまう間、イルカはずっと泣きそうな怒ったような顔をしていた。
それでも最初に掴まれた時のまま、イルカはカカシの冷えた手を離すことはとうとう一度もなかった。




とりあえず風呂…その間に飯用意しますからとあまりに思い詰めた顔で言うから思わずカカシはイルカの顔をまじまじと見てしまう。

先生の部屋。ここへ来るのも随分久しぶりだった。

イルカはどうして自分を連れてきたんだろう。
情けない姿の上忍を放っておけなかったんだろうか。里で浮いているカカシを憐れに思ったんだろうか。
そもそも何の説明もないままの、普段のイルカらしからぬ態度にも少々カチンとくるものもある。
ほんの悪戯心でもって、
「チャクラ切れで動けないのでイルカ先生、一緒に風呂に入って俺を洗ってくださいよ」と言ったらイルカは、
「ええ!?」と言って真っ赤になってしまった。
嘘ですよとしれっと言ったら「あんたは…!!!」とこれまた茹で蛸のようになったので思わずカカシは笑ってしまった。


ああ、イルカはイルカのままだった。普段はこうやってちょっとからかっただけですぐ真っ赤になってしまうような、感情がすぐ表に出るような忍らしからぬ男。それでもやっぱり忍で、いつだって真っ直ぐで、怪我がないかとか、無茶をしていないかとか等こんなカカシのことを、イルカはちゃんと見てくれている。
縁は、一度は途切れたと思っていた。なのにイルカはまたカカシと関わろうとしてくれている。さっきまで野良犬だったカカシの手を引いて、風呂に入れて、飯を食えと言う。過去に自分をやり込めた、そしてみすみす部下を里抜けさせてしまった情けない相手が腹を空かしてボロボロになっていたら思わず声を掛けてしまう優しいイルカに、カカシは拾われた。


このままここに居着いてしまえば、この人はどんな顔をするだろう。
普段は里の犬らしく働いて、終われば先生の飼い犬になる。
風呂に入って飯を食って、夜は一緒に眠るのだ。

そんなことを言ったら、この人はきっと困った顔をする。


でもいつかきっとカカシに絆されてくれて、お帰りなさいと言いながらしっかりと抱き締めてくれる気がするのだ。


おわり